2016年9月15日
息子がこの世に産み落とされて5年が経ちました。
5年前の9月15日、息子をこの世に産み落としたのは言うまでもなくこの私ですが、当時23歳でした。今思えば23歳なんてだいぶ子供だし、子供が子供を産んだようなものです。すごい。すごすぎる。何がすごいって、今の私なら絶対に子供は産めないと思うからです。だって怖い。小さい穴を突き破ってクルクル回りながら赤ん坊が出てくるなんて想像できないわけです。すんごい。そんな恐ろしいことできるはずない。なのに23歳の私はそれができちゃった。なんてことだ。なんて日だ。What a dayだ。坂口杏里だ。MUTEKIだ。そう、つまり23歳の私は無敵だったんだと思います。
2011年 夏
当時私はゲス夫と2人で暮らしていました。大きなお腹を抱え、いつ産まれるか分からない不安と、早く我が子に会いたい愛しさと、夫の浮気に薄々気付き始めた憤怒の思いなど様々な気持ちが混じりあい、何とも言えぬ悶々とした毎日を過ごしていました。
ゲス夫は消防士。朝7時に家を出ると、翌日の昼過ぎまで帰ってきません。
それまでずっと1人。ただ1人。不安。夫がいない間に陣痛がきたらどうすれば...と思っていました。
2011年9月13日(出産2日前)
私は妊娠してから悪阻で食べられるものが限られ、主にトマトと、小麦粉を練ったものばかり食べるような偏食に変わりました。(うどん、パスタ、すいとん、パンなど)
この日はトマトスパゲティとピザが食べたかったのです。私は1人でピザの食べ放題に行こうと決めました。
夫が車を使ってしまうため、私の行動は制限されていたので、ピザ食べ放題のお店へは40分歩いて行きました。
満腹になるまで食べて大満足して寝たのですが、寝始めて2時間経った頃、破水してしまいました。
ゲス夫に電話するも案の定出ない。仕事と偽り女と遊んでいる可能性大。イライラ。ゲス夫の留守電に「破水したので産んできます」と若干キレぎみのメッセージを残し、タクシーで病院へ向かいました。即入院。
2011年9月15日
なかなか産まれず私は2日間陣痛に耐えていたのですが、そんな私の目の前でゲス夫がスマホに夢中になって女の子と連絡を取り合っているであろう姿を見たときは、羊水ぶっかけたろかと思いましたし、
入院していた病室に備えてあったお茶とジュースがゲス夫に全て飲まれて無くなっていたときは、へその緒で首絞めたろかと思いました。
そんなゲス夫への殺意を抱きながら産んだわけですが、分娩室が殺人現場にならなかったことが不幸中の幸いです。
息子が産まれて3ヶ月後、ゲス夫によるゲス不倫が発覚したわけですが、なんでそんなことをしたのか問い詰めたところ「魔が差した...欲求が抑えられなかった...」とのことで、今思えば、高畑裕太ーーーーーーーー!!!!って感じですので、いつかゲス夫にはハブラシでもプレゼントしてやろうと思います。サッシの掃除で使ったハブラシを。
息子は今年で5歳。
私は息子が誕生日を迎えるたびにゲス夫への恨みを思い出しています。
そしてこれからも、毎年思い出すことでしょう。
毎年9月15日、恨みたっぷりの形相でハブラシを用いてサッシを磨いている女を見つけたらそれは私ですよ、皆さん。